子供の頃

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10分間で思いつくサブカル振り返りでした。

生き残るってのは

人間性の抑圧からの解放- ルネッサンスはペストの流行が無ければ起こらなかったのかも。
現実の大きな危機や多くの人間が亡くなる事態に宗教や哲学は簡単にひっくり返る。
それでも何かに頼らなければ人は生きてはイケない。
じゃ、日本人は何に頼って生きているんだろ。
家族愛、友人、恋人、インターネット…音楽…
年金? 結局金かい!
そう。結局は金しか頼りにならない国。
断捨離とかダイエットとか要らないものは減らすのが大変。増やすのは簡単。
欲しいものは中々増えない。減らすの簡単。
年金制度も当てにならない。
権利は無視され義務は押し付けられ、
閉塞感から解放された場所で愛を叫ぶのは逃避か。閉塞感の中で自由を叫ぶのは逃避か。
どちらも同じく逃避で他人任せか。ただし誰にも変えられないなら両方とも同じただの遠吠え。原発だ安保だそんなんどうでも良い。
金も頼りも無いなら生きる意味は自分で見つけていく。人それぞれ、家族ひとりひとり。
これってペストより問題じゃない?
自分主義の国では本能的なものにしか共感は得られない。娯楽の少なかった昭和以前に比べ今や選択しきれないほどの刺激に溢れ、さらに選択される為生き残る為の音楽は益々刺激を失っていく。

肉まん100円

肉まん一個100円で~す。
コンビニ店員に釣られて2個買って食べて消化不良で散々な目に合ってから1週間ずっと体調が悪く休日も外出せず静養に務めていたが、一昨日とうとう38度超えの発熱で寝込んだ。風邪だ。
不思議なんだけど風邪ひいて熱出すとジャンクフード類やタバコ酒は受け付けなくなるし、肩の凝りはなくなるし、あまり食べれないから余分な体内の脂肪が無くなる。
汗を沢山出した後のすがすがしさ。
気持ちまですっきりしてる。
なんなんだろ(笑)これ。
たまには風邪ひくのも悪くないな。

トカトントン

家庭教師のトライのテレビCMを見たことがありますか?
宮崎駿が原画を手掛けたアニメ「アルプスの少女ハイジ」のパロディなんだけどハイジやクララやペーターが吹き替えでゲスなキャラになっていたり、原画自体を加工していたりと憤りさえ感じてしまう醜悪CM。
ガキの頃に良く見た好きなアニメで感情移入していることを差し引いても、大自然の中で人間らしく成長する主人公ハイジを描いた原作品に対しての配慮は木っ端微塵にも無い。
そもそも家庭教師なんて競争至上主義のアイコン的な商売に真逆のコンセプトの原作のパロディを持ってくるセンスには呆れてしまう。
目立てば、受ければなんでも許されるのだ~♪って世界の糞CM?を家庭教師のトライは内容まで広告会社に作製依頼をしているのだろうか。
普通に考えれば社のイメージに直結する広告媒体は吟味されていると考えるべきなので、家庭教師のトライはのびのびと大自然で育っていくハイジの生き方や在り方を否定した立場の企業だと言うことになる。
ユトリ教育からの脱却がコンセプトとか?
そういう表現の仕方はそれならそれで凄い事かも知れないけど、、、何でもありで生き馬の目を抜くみたいな競争至上主義が既成の価値観を無視して良いとは僕には思えない。
日清カップヌードルの新しいcmも狙いすぎた内容の為の放送自粛がニュースになっている。

トカトントンって太宰治の短編。
前に書いた大学時代に良く寄った靖国神社で感じたやるせない日本人の気持ちが、戦後の時間の中でどうなっていったのか気になっていた自分にとってそれを想像させてくれる貴重な小説。
政治的な目的と特攻隊員1人の想いが皆全て同じだったとは思えなかった。
祖国のためだけに負けると分かっている戦いの中で命をも投げ出すだろうか。
本当に守りたかったものは何だったか。
敗戦後、大切な家族の生活に日本らしさを残したかったんじゃないかな。。。
資本主義、商業主義は音楽一つとっても既に崩壊している。
こないだのメジャーで活躍されてる弾き語りさんは喜んでもらえてナンボの世界だと応援ソングを熱唱していたが僕には声が全く聞こえてこなかった。
オリンピックも金儲けが前に出過ぎると何だかうすら寒い気持ちになる。
天皇陛下の敗戦の放送の後、アメリカ的な生き方に急ハンドルを切らされた日本人がまるで実はそれが正解だったかの様な揺るぎない姿勢で高度成長をしてきたのは、没頭する事で考えることから逃げるしかなかったからではないか。特攻隊員が守りたかった、戦後の日本人が没頭する事で無理やり押し込めた想いはあげくには薄れてしまい70年経った現在に膿みたいに社会の病理になって吹き出しはじめている。そんな気がする。
日本人らしさが何だったのか分からない世代には生まれながらにアメリカナイズされた日本が当たり前の現実であり疑問にすら感じないかも知れない。
それが家庭教師トライのCMなんだろう。

天皇陛下玉音放送、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍びの御言葉が全く届かなくなった日本に何かを期待するの無理だ。       
敗戦国として文化や倫理感までもアメリカの言いなりのママでは浮かばれる事は無いと感じながらも、そこから抜け出すことは不可能だと気付いてしまっていて、武力自衛が短絡的に戦争に繋がると煽り武力無く平和が守れると本気で考える事の出来る能天気な集団が存在する今の日本には「日本人の心」の存続を願った当時の堪えがたい想いは空しくフワフワと浮遊しているだけとなってしまった。
いじめや自殺や動物虐待、佐村河内にSTAP細胞佐世保女子高生殺害事件。
復興が進まない福島と異常な規模で発展していく東京都市計画。
安部政権のイカれた独走政治。
トカトントンは鳴り止まない。


楽器を客席に投げる

泉谷しげるの「黒いかばん」が好きだ。
警官の職務質問が横柄で理不尽でバカヤローって名曲だ。
権力を振りかざし上からの態度の警官と対等に渡り合う姿がスカッとして良い。
理不尽に感じることは日常茶飯事だが理不尽自体がエゴらしい。
不安、怒り、自虐、評価、みなエゴから来る感情だそうだ。

60キロで流れる車の流れに40キロで走る車に対してイライラする事無い?
法定速度は50キロ。60キロが反則なのに。
でも明らかに40キロの車は迷惑な存在になっている
見通しが良いから法律変えて60キロの法定速度にしよう!って市民が変えられないでしょ。政治家が憲法を変えようとするのも同じなのにね。憲法は政治家を牽制する為のものなんだから。政治家が変えちゃだめだとは思うけど
人間だけじゃなく虫も草も細菌も皆同じ。
西から昇ったお日様が東に沈む。それでいいのだ。
あまり気にしないこと。誰でも少なかれエゴなんだから。
でもさ、ステージから楽器は投げないで欲しい(笑)
危ないからは当たり前だけど、それより何より楽器に失礼。安全より楽器かって?僕はエゴイストだからね。それでも泉谷が僕は大好き。


正義の押し売り

有力な次期大統領候補の髪形の変なアメリカ人が日米安保に否定的らしい。
米国の傘に守られて濡れずに済んできた日本が傘から追い出され大雨に立たされる日が迫っているのかも知れない。
かたや、アメリカの核の傘から抜け出し東アジア諸国と平和的安全保障関係を築き真の平和国家へとの意見もある。
頻発する物騒なテロのニュースに触れる度に思う。悲しみは憎しみに変わっていく。穏やかな人の人格を変えてしまうかもしれない。宗教的な理由で殺人を行う救えない愚かな集団に対し、武装せず争わずを主張するのは見方を変えればエゴイズムで、よほど通用するものでは無いように感じる。
韓国料理が好きな僕はたまに新大久保に出かける。ある日在特会反韓デモに出くわした。プラカードに書かれた文字も言葉もひどいありさまだった。
レイシストと批判されて然るべき行動に思えたが、なぜそこまでの行動に至ったのかを知らなければ批判だけでは解決にならない。
同じようにテロリストの行動の背景に目を向けるのも。
事件があると起こしたものを血祭りにして憂さ晴らしのような攻撃をするだけの風潮が世界的になり、戦時中さながら人間の本性がさらけ出されたような殺伐とした時代の中で70年前の決めごとに縛られるのも、綺麗事をならべるのも現実的では無いように思えてしまう。
多数決の論理は少数派の正義を踏みにじる。
迫害を受けた少数派の行動は過激にならざるを得ないのかもしれない。