2年前の記録

職場の出勤時間で一番早いのが6時から。(因みに夜勤は17時から)
介護職では通常の勤務形態です。
夜に早く寝る習慣が無いから、その勤務の日は大体3時間位の睡眠で職場に向かう。
大体、睡眠の長さに何の関心も無く生きてきたのでそれ自体に問題意識も無かったが。。。
ある日突然、その時間の勤務に起床していたのに職場に行けない自分がいました。
なんとか頑張って10分遅刻位で仕事自体は大した迷惑をかけずに済みましたが
寝坊の遅刻とは違う初めての経験に驚きました。
受診をすすめられ松坂屋さん付近のストレスクリニックへ。
中程度の鬱病だそうです。
兆候はありました。
安定剤を貰って服薬したらぐっすり眠れました。
眠るというのがこんなにも疲れを取るものだと久しぶりに思い出しました。
LIVEに午後服薬した薬が残っていたみたいで黒川君の企画LIVEでは全く記憶が無い始末。
とても楽しく刺激的だった感覚だけあって記憶が無いのが勿体無いです。
記憶は形が無いけど、無いから宝です。
良い機会に出演の話をくれた黒ちゃんには感謝です。
自分が弱い人間だと自覚することで過去の人間関係や考え方にも影響を貰えました。
しばらくは自分が普通に居られる場所で過ごすしか無いようです。
昨夜のUHU風太さん企画LIVEでは良い時間が過ごせました。
安心出来る場所だったからでしょうね。
なにが大丈夫とか、基準が分からないです。
ご心配をおかけするような記述で申し訳無いですが家族も見るブログです、
本当に大したこと無いから書けてます。
作詞とかは良い感じの作品が出来たりして(笑)
そんなわけで失礼な行動がありましたら大変申し訳ございません。
ソロの音楽活動は今まで通りやりますので宜しくお願い致します。



天地想像妊娠

アメリカでは今だに進化論には否定的な創造論信者がいて政治やテロにまで影響する問題の根っこだったりするらしい。
一泊20万円のホテルに税金で泊まるバカ知事と保育園が無くて働けないシングルマザーと故郷に帰れない被災者と。万物の霊長、生物の支配者の実態は他の種族より遥かに劣って見える。
万物の霊長という発想は進化論より創造論的な発想だそうだ。進化論は生き延びている種族全部が適合者という考え方だから人間が特別な種族とはしていない。

第1日目
神は光と闇とを区別された。
第2日目
神は大空を造り、大空の下にある水と、大空の上に水とを区別された。
第3日目
神は天の下の水は一所に集まれ。乾いた所が現れよと仰せられた。乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。
第4日目
神は昼に輝く太陽、夜に輝く月と星を造られた。
第5日目
神は海に生きる巨獣と、水の中を泳ぐ魚と、翼のある鳥を造られた。
第6日目
神は地に生きる家畜や爬虫類や獣を造られた。そしてご自身のかたちに男と女を創造された。人間にすべての生き物を支配させられた。
第7日目
神は天と地とすべての万象が完成したことを祝して休まれた。

人間を最後に作ったのはなぜか。
万能の神が暇潰しに作った世界で最後に作った人間に何の役割を期待するか少し考えてみたら、ゲームは困難な挑戦を繰返して到達する過程が楽しいのであってゴールを望まなくなり、ゲームの難易度を上げるには積み上げてきたものを破壊する役割が必須なように、神が作った万象を破壊する役目が最後に必要になったのではなかろうかと。
そう考えると人類は神に期待された役割を果たすべく他の生物とは異なる特別な存在としてアホを繰返し繰返し破滅をもたらす天命を授かっているのだ。

1度会っただけの人

大学時代にズッポリ音楽にはまった。ロックバンドのボーカルだった。バンドブームと呼ばれるイカ天全盛期はバブルセレブを気取るDCブランドブームと重なり金髪ロン毛はファッション的には寒い存在だった。今もそこは変わりないけど。
日本人の体型がいくら変わっても金髪ロン毛が似合うのは限られた極々少数だ。
僕のような短足チビに似合うはずも無く自分でもそれは良く分かっていた。はじめはバンドのメンバーから強要されて仕方なくだったがLUNA SEA河村隆一が浮いていて気持ち悪いのを例に出されたら従わざるを得なかった。ま、DCスーツにしてもチビには同じ話で何を着ても結果は変わらないし。金髪ロン毛もやってみたら髪の毛の立たせ方や原宿に奇抜な服を物色しにいくのは楽しかった。当時の彼女が高校生で友達に見られたら恥ずかしいから止めて欲しいと、親父が自衛官で母親に社宅の回りの目があるから止めて欲しいと泣いて頼まれるのが辛かった。いまだに理由は分からないがそこそこに人気がありライブをやればかなりの集客があった。ブッキングのライブに呼ばれACBやロフト、屋根裏で良くやってた。ノルマがあった記憶は無いが店の告知がピア等の雑誌からかバンドとしては告知活動は一切せずただ演奏するだけだった。もちろんバック(出演料)もなかった。そういう仕組みを知らなかったし関心もなかった。ある日D.Jさんという30代位のソロの弾き語りをやってる方と対バンになった。ディラン好きが分かりやすいタイプの弾き語りスタイルで暗いオリジナル曲を淡々と歌ってた。今聴いたら普通に聴けるだろう音楽が当時の僕には暗い音楽と嫌に感じた。楽屋で集客についてD.Jさんは僕らが羨ましいと言っていた。あのバンドブーム時代にソロで音楽活動していた苦労は今は分かるが当時の僕には何を言っているのか全く分からなかったが妙に記憶に残っている。1度会ったきりの彼に今の自分が会えたらと少しだけ想ってみたり。こだわりは強ければ敬遠され疎まれるけど時間が過ぎても時代が変わっても褪せることはない。想いがないというのは存在も無いと同じ。2度と聞きたくないと思った歌はなぜか今も記憶に残っている。また聴きたいとは思わないけど。1度会っただけの会話も少ししただけの人を覚えてるのって凄くないですか?

ゼロ戦のゼロは年号

想定外と言われている甚大災害が続く日本。科学力が進んだ我が国においても学者は予知も出来ず、気象庁は起きた地震を検証するだけ。想定外とは歴史的な統計データに基づいたものだろうが夏の暑さも降雨量も記録更新は頻繁にニュースで流れている。人智を尽くしてもお手上げだと言う状況は自然災害研究者にはどんなに辛く歯痒い事かと思う。結局、自然に対して人間は無力だという話か。何も無いという概念を示す数字の0=零。数学的に言えば整数を0に近い少数で割ると解が増えることから無限にも感じる。正と負を分ける基準数。仏教で言う虚空。雑念の無い無欲な悟りの心理状態。小さな人間という生き物に合わせて自然は動かない。神も仏も居ないのでは無くて神や仏は人間なんかに合わせては居ないのだろう。宗教が無心を悟らせるのは自然の存在にシンクロさせるためではないか。ゼロの存在が神の概念なのか。左も右も上も下も偏ってばかりの下衆な自分には「火の国の神様もうやめて」発言は人間らしい言葉に思えたけど。少なくとも叩いてる輩に思いやりは無い。想像を超えた現実を受け入れるしかない被災地の方々に信仰がどれだけの意味があるのかとても疑問だ。普段と変わらない暮らしの中で明日の1日を考えながら思い出しては祈るぐらいしか出来ない。岩戸隠れした神にでは無くてただ早くそうなれば良いと。

以前の

陛下のパラオ慰霊について様々な意見を目にしてしまう。
シンプルに人として尊い想いを持った素晴らしい御行だと感動する。

昨年暮れに神坂次郎作『今日我生きてあり』より「特攻隊員の遺言』の朗読会に参加して嗚咽するほど醜く泣いてしまったのを思い出す。

純粋な魂は陛下の慰霊をどんなに喜んだだろう。
戦争の傷は未だ腐敗し膿を出し続けている。

歪んだ思想がぶつかり合い人間関係さえ脅かす。
父は航空自衛隊員だった。
六本木勤務になるまでは転校続き。
父の職業を恨んだこともある。
日教組の先生に嫌味を言われた記憶もある。
君が代を歌わせない学校があった。
戦争の膿は予想以上に深い。

だけど全く別の次元で

只々報道で観た陛下の御姿を美しく感じパラオの人々が日本に感謝している事を誇りに感じた。